
森の風について
about us
最近ふと思うのが、
私が生まれたのは昭和28年、ということは戦争が終わってからたった8年しか経っていなかったのだということです。
小さいころ、四日市の駅前には片足のない兵隊さんだった人がいて、むしろを敷いてそこに座り、お金をもらう器を置いていました。
幼いなりに、戦争があったんだな~と感じていましたし、父親から戦争中の話を聞いたり、四日市空襲の話しも聞いていました。
千草には練兵場があって(今の江野のあたりで、菰野富士も練兵場の中にありました。)
今でも菰野富士の中や鹿の角山の奥を歩くと「陸軍用地」と書いてあるコンクリートの杭がずーっと立っています。
大正田の入り口、今の「赤い鳥」のお店のある辺りは「兵舎」がありました。
大正田のあの道、ゴルフ場の方へ上がっていく道は兵隊さんが作った道だそうです。
あの坂(森の風の駐車場から下りてくる道)を「オタテノサカ」というそうです。
昔は江野のあたりで不発弾が爆発して…と話を聞いたことがあります。
私も戦後生まれですが、戦争は遠い昔の話ではありません。
長男が生まれて腕に抱いた時、テレビから自衛隊の話題が流れてきました。
思わず怖くなって赤ちゃんを抱きなおして
絶対に戦争は起こしてはならないと強く思ったことを思い出します。
イタリアのレッジョエミリアという町で戦争が終わったあと
「どうしたら戦争を起こさない子ども達を育てることができるか」と
街の芸儒家や大工さんのような職人の人達に協力をしてもらい
アトリエのような「幼稚園」を作ったのです。
そして、その保護者の人達は
「市民としての責任は」というようなテーマで保護者会を持っているということです。
私達はどうしますか?
予測不可能な時代と言われます。
あらゆる情報の中からちゃんと課題を選び出し、それを解決出来る子どもに育てようと言われています。
スマホを開けばAIによって作られた一方的な情報の動画が拡散されています。
何が真実なのか大切なのかを判断して、子ども達が選ぶことができるのか。
ネットの時代はくもの巣のようだと言われていましたが
今は繭のようだと言われています。
繭の中に一人一人が入ってしまう可能性があるということです。
極端な一方的な情報の中だけに子ども達が入ってしまわないようにするためには
私たちがどのように生き、社会を見て、そこに在る課題を見出し、
どう生きるかが、今大きく問われていると思います。
日本が戦争に突入していった時代、やはり情報は一方的で統制されており、人々は簡単に軍国主義に走っていったのですから。
KODAK Digital Still Camera
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