当たり前のことなのに、言葉にすると社会で身分を持つという経験を時々します。
この「幼児から民主主義」も当たり前のことなのにこうして言語化されて本になったりすると
ちゃんと社会的な身分を持つので、本当に喜ばしいことだと思います。
「森の風は野外保育をしています」ということが森の風の特徴であるかのように見られることがありますが
野外保育が目的ではなくて民主的でクリエイティブな人を育てたいと願っているのです。
おひさまさん達のお泊り保育の中で若い保育士が発見した子どもの姿はこのようなところでした。
「Hちゃんはみんなでおにぎりを作っているときに、取り分けたお皿のごはんが無くなったら。
何も言われないのにお釜からご飯をよそって、みんなのところに持ってきた。そうするとS君が「ありがとう」と言った。」
「Sちゃんは片付けの時にみんなが忘れていた物を見つけて持ち主に届けていた。」
それに対してこの保育士は「こんな風に子ども達の中に暮らしが身についている」と言ったのです。
お互いのことを自分事として、みんなの生活を自分事として心地よく動いていることに感動していました。
そして、それを「暮らし・生活」と言っていることに私は感動しました。
自分が大切にされたように子ども達は互いに大切にしあいます。
人が大切されていることを自分が大切にされたかのように喜びます。
ひとりが尊ばれれば、互いに喜びます。
なので、安心して自分でいられます。
なので、自分よりももっと小さな命を尊びます。
そのような暮らしは当たり前のことですが
それを民主的というのではないでしょうか。
「保育の中で民主主義は実現できる」という帯の言葉には違和感を感じます。
民主的ではない保育ってあり得るのでしょうか。
世界はもっともっと子ども達から学ばなければなりませんね。