記事を読めば読むほど苦しい悲しみに襲われてしまいます。
3回も4回も思い出せる時はあったはずです。
何がそれをさせなかったのか。 幼い命を預かっている私たちすべての保育現場、教育現場に引き寄せて考えてみたい。
文科省と厚労省からは
1,出席状況の確認の情報共有や家庭との確認を取ること
2,場面の切り替え時に人数確認を徹底すること
3,送迎バスを運行する場合においては、事故防止に努める観点から、
運転を担当する職員の他に子どもの対応ができる職員の同乗を求めることが望 ましいこと
4,各幼稚園等においては、「学校安全計画」「危機管理マニュアル」について、適宜見 直し、必要に応じて改定すること が通達文書として来ています。
3,の添乗員については「望ましい」の文言があることに驚きです。 バスの中を考えるときに、添乗の職員がいないことは考えられない事態です。
これらのことは当たり前のこととして、 しかし何かが足りなかったからこのような事が起きていると思うのです。
人数を確認しているときに保育者は何に心を使っているのでしょうか。
「おはよう」をみんなでするときに「数」を数えているのでしょうか。
今日はこの子はどんな心持で登園したのかな?
今日はどんなことをしたいって思ってきたのかな?
元気がないけど、おうちで何かあったのかな?
お休みのお友達はどうして休んだの?とみんなで心に留める…
と「数」ではなく ひとりひとりの人格として、人として尊重するのではないでしょうか。
もし、それが無かったら保育は成立しないのではないでしょうか。
さらに保育現場を「数」にしてしまった保育政策があるのではないか!と強く私は言いたい。
「保育や教育」を「サービス」にしてしまった保育政策。
おとなの不安や心配事を「苦情受付」として園と保護者を対立関係にしてしまった保育政策。
保育現場・教育現場は託児所ではない。
物のように子どもを預ける場所ではない。
保育園や幼稚園は おとなも子どもも共にみんなで育っていく場所です。
一緒に心地よい育ちの場を作るのが保育現場・教育現場の役割です。
人数確認や安全対策はとても大切な事ではあるけれど
それさえできていれば良いとしてしまったら大切な心が無くなってしまう。
今回の事故は安全確認ができていなかったから起きた事故ではなく
保育現場から心が無くなってしまったから起きた事故と言わざるを得ません。
どうか子ども達が安心と希望をもって生きることができるように
責任ある大人たちが愛に根差し、愛において成長し、良い環境となることができますように
祈ります。